自作楽器の世界1

06.11
前回Cloveの閉店で異常者の歴史を区切るって言ったけど、その後も異常な日常は続いているので緩やかに続けていく事にしました。
というか段々話が大きくなってきて、今(2009年)では、この頃(2007年)雲の上だった方々とも競演させていただいたりして、何だか凄い事になっている。
私には野望があって、遥か上を目指している。それは一生をかけても辿り着くか分からないんだけど、
このまま上を目指して行くと、どうやって異常奏者はそこに至ったのか気になる人が出てくるかも知れない。
そんな時、この異常者の歴史が自伝的な役割を果たすと思うので、続ける事にしました。

回りくどい言い方をしましたが、要するに、
どうすれば異常者になれるか

それが書かれていると思います。異常者になりたい人は、この異常者の歴史の通りに同じ事をすれば良いと。
異常者の成り方の手引きとでも言いましょうか。まさに異常者の作り方なわけです。

楽器だけでなく、人も量産しちゃうよ!


話をすっごく元に戻します。今回の話は異常者の歴史を続ける上で、語っておかなければならない出会いについてです。
前回までは異常者の歴史を小さくまとめようと思っていたので、割愛していた話なのですが、書きます。
話は2006年の冬に戻ります。IZYO-SYAにリボンコントローラーを付けた直後位だったと思います。
私はそれまで自作楽器を作っている人が日本にどの位いて、どんな世界なのか全く知らなかったのでネットで調査していました。
予想では星の数程いて、人からは理解されないような音楽をやっていると思っていたのですが、実際は逆で、
自作楽器演奏家(基本的に創作楽器にはプレイヤーがいないので製作者=演奏者である事が多い)は、数える程しかいなく、
もの凄い演奏技術と、とても高度な音楽ばかりだったのです。これには度肝を抜かれました。

そんな中で気になったのが3方「米本さん」と「尾上さん」と「Kaseoさん」でした(リンクされています)。
活動内容も、楽器も、雰囲気も全く異なる3方でしたが、自分には「同じ何か」を感じ、勝手に「日本の3大変態」と呼んでいました(怒られてしまえ)。

*09.9.27 追記*
あの…この言葉が定着してしまうと大変な事になるので、「3大奇楽」と呼んで(いた事にして)ください。
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この時点で私はこの3方の事を何も知らなかったのですが(当時のサイトを知っている方ならわかると思いますが、サイトを見る限り3方は全く繋がりが無いように見えました)
驚く事に米本さんと尾上さんは「西の尾上、東の米本」と呼ばれる程、関係のある方々で、
更にはKaseoさんを含め3方が同い年という、驚愕の事実が(約2年後に)判明する事になりました(本人達にも)。
そして2009年現在では3方がユニットを結成するという凄い事になっています。恐れ多い事に私の発言(日本の3大…)がきっかけになったそうです。
本当に驚きです。当然この時、この3方が後々私の人生に大きく影響する事は全く予想もしていませんでした。

当時、最初にショックだったのは尾上さんでした。
 ハンドルを付けた弦楽器なんて世界初だろう
 指でタッチするシンセコントローラーを開発し、エジソンかよ!
と思っていた当時の私でしたが、なんと

2つともカブっていたのです!

ショックでした。しかも、尾上さんの方が当然有名で、早い。
この時に「リボンコントローラー」という名前も知りました。
皆、考える事は一緒なのか、もしくは自分の発想がありきたりの物だったのか…とヘコんだ記憶があります。
異常者だと思っていたのに普通の人だったみたいな。
いつの間にか異常者である事に誇りを持っていたようです。

米本さんのサイトは「自作楽器とネタ」という発想が自分に似ていて凄く共感していました。
3方ともリンクしたかったのですが、尾上さんは余りに雲の上過ぎて、いきなり自分みたいなのが連絡するのは迷惑だろう、
Kaseoさんはサイトや活動から「この人はホンモノかも知れない…」と思い、怖くて連絡できませんでした(後に気さくな方という事が判明する)。
米本さんが一番親しみやすかったので「リンクしてもいいですか?」とのメールを送りました。
しかし何日待っても返信はなく、年を越してしまいました。

つづく
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