異常復活

07.4/29
元旦早々、鬱になって音信不通になったのはいいですが、立ち直ってからどうしようかと。
連絡を取ったら絶対、何があったの?と聞かれるし、異常奏者は辞める気でいたのでサイト上で活動終了と表示していたし。

このまま何の責任も取らずに復活する事は出来ない。何かしらケジメを付けないといけないと思った私は、

ミシンを肩から下げる事にしました。

はい。これで全て許されました。
サイトも復活に合わせて現在の赤いデザインになり、ロゴも新しく作りました。

ミシンはver.4になり、それまではリズムマシンとして鳴らしっぱなしだった音も、演奏できるレベルになりました。
ミシンにストラップを付け、肩から下げた私はミシニストとしてステージに立ちました。

思えばミシニストとして初のこのライヴで既に、ゲームボーイとサンプラーを使いミシンを弾くという現在のスタイルが出来ていました。
パニックという言葉もこの時既に使っていました。


話は変わるのですが、負塊のフロントマンN村は私が出会う前からベースを弾いていました。
しかし、本人はベースが嫌いだと、別の楽器を弾きたいと以前から言っていて、お琴を弾いたり、試行錯誤していました。
そしてある日、彼が出した結論は、

ベースを同時に3本弾く事でした。

本人いわく、ベースに囲まれたら好きになれるかと思ったそうです。

しかし実際はむしろ、嫌いなベースに囲まれ苦しみもがいているようにしか見えません。
が、その迫力は凄まじく、鬼気迫るものがあります。これは間違いなく、新しい道が開けたと感じました。

負塊はN村を中心に1人〜4人でライヴに出ます。
よく「その日はメンバーが全員集まらないから…」という理由でライヴを断っているバンドを見ますが、負塊は関係ないです。
誰か1人さえ出られればライヴが出来ます。名前が「負塊」になるのは2人以上揃った時です。

N村が1人の時は「シャウト中村とこんにちわ」という名前で活動しているのですが、そこで初めてベースを2本弾いたのが始まりでした。
次にまたN村ソロのライヴを見に行くとベースが3本に増えていました。そしてまた次に見に行くと4本に増えていました…

3本じゃ足りなかった(好きになれなかった)そうです。

最終的には同時に6本を弾く所まできました。6本で好きになれたのかというと、おそらく6本でも足りてないと思います。
ただ色々な問題(ライヴハウスには普通ベースアンプが6個も無い・人から借りるのに限界があった・持ち運びにも限界が…など)があるので6本が限界なんでしょう。
都内でライヴの時、ベース6本持って1人で電車で行ったそうです。右手に2本。左手に2本。肩に2本背負って。
これでは人というか、

ベースの塊です。

電車内をうごめく黒い物体(ケースが黒いので)。周りはドン引きだったでしょう。
でも相当重かったはず。尊敬に値します。もうライヴというよりライヴハウスに行くまでも見てみたいです。

同時に5本までは何となく想像出来たんですけどね。両手足と頭があるので。でも6本同時とか、どうするんだ!?ってなりますよね。
凄く想像力を掻き立てられました。

話は戻り、この日は負塊も出演があったのですが、私は参加せず。客として3人のステージを見ました。
そこでN村がバンドで初めてベース3本同時弾きをしました。
N村のベース多重演奏にミシニスト異常奏者。こうして2007年進むべき道は示されました。
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