異常者の停止

06.9/27
しばらくお休みしていた異常者の歴史。これを書いている今日は07.4/6だ。
いつの間にか半年も経ってしまった…。

実は去る06.9/27、うちのにゃんこ(み〜やん)が病死してしまったんだ。
入院していて、ほぼ毎日病院にお見舞いに行っていたんだけど死に目に会えなかった。
それが凄くショックで異常者の歴史を書く気になれなかったんだ。
だから今日は異常者の歴史はお休みして、少しみ〜やんの事を書く事にした。これを書く事で次へ進める気がするし…


ねこ自体好きだけど、み〜やんは僕にとって特別なねこだったんだ。
例えるならジジとキキの関係みたいな感じだろうか。黒猫だったんだけど自分を猫と思ってなくて人間みたいなやつだった。

今にも「おい、めし」とか言い出しそうな、そんな感じのするやつだった。
むしろ日本語を喋ってた気さえする・・・

寝る時も枕を使って、あお向けで寝る事が多かった。

↑冬場はよく一緒に寝た(恥ずかしいので僕はボカシました)。

ねこ好きって人は沢山いるだろうけれど、僕たちの関係はちょっと変わっていた。
あまり干渉し合う事は無かった。近くにはいるけれど、互いに後ろを向いていたり。でもいないと探したり。
ねこ同士みたいな感じだったと思う。

上下関係があるのは嫌だから対等に接していた。本当の意味で対等に。
よく猫好きで家族の一員として扱っているって人がテレビとかに出てくるけれど、あれとは少し違う。
例えば猫を抱き上げる行為。あれ自体、僕にはNGだ。
猫を物として見ている感じがして嫌なのだ。自分の好きな時に、都合の良い時だけ猫を抱き上げる。
それって人間本位であって対等ではない。

僕の場合は、み〜やんから膝の上に乗って来るまで抱いたりはしなかった。
だからなおさら、み〜やんが膝の上に乗ってる時間が貴重だったし、大切に過ごせた。

もちろん対等だから、僕が嫌な時は降りてもらったけど。互いに気が向いた時だけだった。
そんなんでも、結構膝の上に乗ってる事が多かったのは互いに気が向くタイミングがよく合ったからだと思う。
いくら対等と言っても猫を人の様に扱ったりはしない。むりやり人間社会に合わせようとしても破綻してしまう。
猫は猫。人は人。そこは越えられない。それを理解して、互いの価値観を大切にする事が大切なのだ(人と人もね)。

飼ってるって言うより一緒に暮らしてるって感じだった。
だから冷たくなって帰って来た時は家族が亡くなった時と同じか、それ以上に悲しかった。

こんな話をすると鼻で笑われるのも凄く悲しい。
所詮ペットとでも言いたいのだろうか?ねこを友達として見たらおかしいのだろうか?

おかしくてもいいや。異常者だもん。
この先もずっとみ〜やんの事を胸に抱いて生きていくよ。
2007.4/6 み〜やんへ
前へ 次へ

戻る

© 2006 異常奏者